「青いベンチ」発売から15年。サスケが音楽を辞めなかった理由 | サスケ×土屋裕介
サスケ Vo&G北清水雄太氏(中)、Vo&G奥山裕次氏(左)
株式会社マイナビ 教育研修事業部 開発部部長/HR Trend Lab 所長 土屋 裕介(右)
2004年に発売された「青いベンチ」で一躍有名になったサスケ。15年経った今も「青いベンチ-10th Anniversary-バージョン」がSpotifyで85万回以上再生されています。そんな彼らが現在に到るまでの道のりは平坦ではありません。デビューから5年後の2009年にワンマンライブをもって突然の解散。2014年に再結成するも、「青いベンチの10周年記念版」が200枚しか売れなかった過去があります。そんな逆境をバネにしてきた彼らはどのような想いで音楽活動を続けてきたのでしょうか。
今回はマイナビ土屋が、「顧客志向」「キャリア」「信念」「レジリエンス」「ワーク・エンゲージメント」という5つのキーワードにまつわるエピソードをサスケに伺い、ビジネスパーソンが成長するためのヒントを探りたいと思っています。
どうすればより多くの人に歌が届くか
まず、はじめに「顧客志向」に関する質問です。お二人は結成当時から「ヒットにつながる曲を作ろう」という意識で楽曲を作成してきたのでしょうか?
奥山:僕らの原点はストリートライブ。毎日路上で10時間くらい歌い続けることをひたすら繰り返していました。最初は誰かに聞かせたいというよりは、単純に「自分たちが歌いたい」という想いだけで活動していたと思います。
北清水:僕も最初は単純に歌が好きでヒットのことは意識しないで活動していたのですが、だんだん音楽を続けたいという想いが強くなっていきました。そのためには結果が求められるので、「どうしたらデビューできるか」「どうしたら多くの人に聞いてもらえるか」ということを考えるようになって。どんな曲調が好まれるのか意識するようになりました。
ストリートライブでも「どうすれば街行く人が足を止めてくれるか」と考えるようになって。歌い続けても人が集まらないならトークを頑張ってみたり、チラシを配ってみたり、色々なことをお客様のことを想像しながら試しました。ただ、街行く人の反応は実際に曲を披露したり、トークを聞いてもらったり、チラシを配ってみないとわからない。1つ1つのアイデアやイメージを実際に試して、失敗して、学んでいくことでしかお客様の気持ちはわからないと思います。
土屋:最初は音楽が好き・歌いたいという想いから始まった活動に、どうしたらデビューできるか・多くの人に聞いてもらえるかといった目的意識が生まれ、何度も試して失敗しながらPDCAを回していったのですね。
これは、新しく仕事を始めたばかりのビジネスパーソンにも同様のことが言えるかもしれませんね。興味がある・目の前のものをただこなしていくといったことから始まった仕事も、懸命に取り組んでいく中で、どうしたら顧客にもっといいものを提供できるか・どうしたら周囲に自身の価値をより高く提供できるかといった目的意識が生まれます。トライアンドエラーを繰り返しPDCAを回していくことで目的意識のある仕事を達成でき、自身の成長につながっていくのではないでしょうか。
「25歳までに売れなかったら解散しよう」と決めて全力で取り組んだ
土屋:これまで路上ライブをしているときにくじけそうになったこともあると思うのですが、それでも「絶対にプロになる」と思ったきっかけがあれば教えてください。
北清水:僕らの世界はギャンブルだと思うんです。「プロになるなんて無理」という人もいましたし、そういう人たちに対して「何クソ」という気持ちもあるんですけど、無理という人たちの気持ちもわかります。プロになれるかどうかは紙一重の世界なので。僕らはたまたま失うものがなくて、好きなものを見つけることができた。だから、臆することなく音楽の道を突き進めたと思います。
一方で、「30歳になったから」「家庭を持ったから」という理由でプロの道を諦める人も当たり前のようにいます。僕らだっていつ音楽を辞めてもおかしくない。ここまで続けてこられたのは幸運としか言いようがありません。
もちろん、自分なりに頑張ってきたことはあります。比喩でもなんでもなく雨の日も雪の日も路上で歌ってきましたし、チラシもたくさん捨てられてきました。でも、自分たちが好きなことをやっているだけなので、苦労とは感じませんでした。好きなことであれば、人は頑張れると思います。
土屋:「絶対プロになる」という気持ちがあった一方で、「どっちに転ぶかわからない」という気持ちもあったのですね。
奥山:結成当初から現実的なことも考えていました。「25歳までに売れなかったら解散しよう」と話していたので。逆に目標を立てたことで、25歳になるまでに何をして、どうあるべきか自然と考えられるようになったのかもしれません。
北清水:幸いにも僕らが25歳のタイミングでちょうどデビューでお世話になる事務所さんに出会っていた。そういった意味ではギリギリ延長戦で音楽を続けることができました。
土屋:25歳まで、という期限を切ることで目標に向けて計画的に活動されていたのですね。仮に25歳の時に上手くいっていなかったら、アーティスト以外の道に進んでいた可能性もありますか?
北清水:当時の僕は居酒屋でバイトをしながら音楽活動をしていたので、もしかしたら料理の世界に進んでいたかもしれません。
奥山:僕は音楽活動を始める前に一回就職をしていて、沖縄のホテルで2年間働いていました。その後、音楽活動を始めてからはずっとコンビニやお弁当屋さんでバイトをしていました。
当時働いていたコンビニの店長はすぐパチンコに行ってしまうような人だったので、ほぼ僕が店長のような仕事をしていました。なので、もしかしたらそのままそのコンビニで店長になっていたかもしれません。
土屋:2009年に解散を発表されたと思うのですが、解散の背景を教えてください。
北清水:当時ちょうど30歳で、デビューから5年の節目だったのですが、なかなか思うような活動ができなくてCDも出せませんでした。事務所の契約更新のタイミングもあったので、一旦解散することにしました。奥山と仲が悪かったわけではないですし、本当にいろんなことが重なっただけ。ビジネス上の話で、ドラマチックな解散理由は特にありません。
奥山:解散後、僕は裏方の仕事がしたいと思って芸能事務所でマネージャーの仕事をしていたのですが、その時の経験がいますごく役立っています。マネージャーをつけずに自分たちで調整業務などを行っているので。なので、仮に本当にやりたくない仕事をしていたとしても、いつかはその時の経験が自分のやりたいことに活かされるということを実感しました。
土屋:解散後の経験も、いまにつながっているというわけですね。一度解散してから2014年に再結成されたと思うのですが、そこにはどのような背景があったのでしょうか?
奥山:2013年の末に2人で会う機会があって、「来年そういえばデビュー10周年だね。記念にライブでもやろうか」と言う話にたまたまなって。話しているうちにだんだん熱くなってきて。「それならもう1回やろうか?」ということになって、再結成することになりました。
土屋:アイデアは思いついてもなかなか行動に移せないビジネスパーソンも多いと思うのですが、お二人の行動力の源について教えてください。
北清水:再結成前から、僕らたまに文化祭や卒業式に呼んでいただくことがあるのですが、「青いベンチ」のハーモニカを吹き始めたときの観客のボルテージがデビュー当時とほぼ同じ熱量だったんです。解散しているときもデビューしてから10年近く経ってもあるサイトで「青いベンチ」が上位にランクインしていたこともあって。未だにファンの方が「青いベンチ」を聴いてくれていることがわかったんです。そういった背景も再結成を後押ししてくれました。
土屋:自分たちが築き上げてきた成果が、自分たちの背中を押すということですよね。おそらくビジネスパーソンも同じで、何か成果を残しているとそれが自信にもつながりますし、自信がないと次の行動にもつながらないということは多々あります。
一番譲れないものを貫き通す
土屋:私も十数名の部下を持つ管理職なのですが、昨今では、「管理職が信念を持つことが難しくなってきている」と感じています。上司と部下の板挟みになったり、社内の様々なしがらみで信念を貫くことができなくなっている人が多いようです。お二人はアーティストとしての強い信念をお持ちだと思うので、我々のようなビジネスパーソンにどうやって信念を持てばいいか、アドバイスをいただければと思います。
北清水:僕らはバラエティ番組の出演にお声がけいただくこともあるんですけど、愛と情熱とリスペクトがある依頼しか引き受けないという信念を持っています。もちろん、ゴールデンに出演すればアピールにはなりますが、一方で安易に引き受けると「青いベンチ」を好きな人たちの気持ちを汚すことになるかもしれない。もちろん、「バラエティだからやりません」ということではなくて。こちらの想いを丁寧に伝えたときに愛と情熱とリスペクトを感じる瞬間も当然あるので、その場合はお引き受けします。
土屋:音楽業界でも企業の管理職のように上司や部下にいい顔をせざるを得ない場面はあるのでしょうか?
北清水:綺麗事かもしれませんが、僕は誰に対しても心を開いてなるべく嘘のないように心がけています。どっちにもよくない顔というか、こっちとやりあって、あっちともやりあうみたいな。わがままかもしれませんが(笑)。ただ、それを傍若無人にやっていたら誰からも愛されない人間になってしまうので、せめぎあいの中でバランスをとりながら自分の信じた正義をぶつけていくしかないのかもしれません。
ただ、嘘をついても結局見透かされると思っています。ネットで炎上する人ってわかりやすい嘘をついていたり、その場しのぎで誤魔化そうとしている人が多い。そういうのを世間は当たり前に見抜く。でも、情けないところも含めて見せつけるずるさを、「俺ずるいから」って見せれば、嘘がないし叩きようもないですよね。
土屋:誰に対してもなるべく嘘をつかず、誠実に対応されているのですね。それが信念を貫く秘訣でしょうか。これまでに信念を貫いたというようなエピソードがあれば教えてください。
北清水:解散する時に、ある会社の意見を全て受け入れれば契約更新することができたので、当時いただいていた月収や生活水準はキープすることはできました。ただ、結局は解散という道を選びました。その決断に後悔はしていません。確かに収入面で考えれば、これまでいただいていた給料が0になってしまうので辛かったです。ただ、自分たちの信念の指針がお金ではないということがそれで明確になりました。
もし僕らの信念が「お金を稼ぐこと」だとしたら、そもそも音楽を続けていないと思います。食べていくことが難しいし、音楽を続けていけるかどうかわからない世界なので。現実を見て辞めていくミュージシャンもたくさん見てきました。ただ、それが悪いとは思いませんし、僕らはたまたま運がよかっただけ。
でも、信念が「お金を稼ぐ」ことでも僕は全然いいと思います。「あの人は強欲だ」と思われるのが嫌で「いい車に乗りたい」「異性からモテたい」と言えない人もいるかもしれません。でも、それは悪いことではない。たまたま僕らの場合は、お金が第一優先ではなかっただけです。
土屋:自身の信念の指針を明確に持たれているのですね。私も含め、信念を貫きたくても貫けなくて後悔したことがあるビジネスパーソンは多いと思います。諸々の障害もあると思うので。そういった意味で、今のお話はすごく力になりました。
好きなことに没頭してストレスを忘れる
土屋:続いてレジリエンスについて伺いたいと思います。レジリエンスというのは簡単に言うと踏み潰されても戻れる力という意味の言葉です。最近の若手社員は一度倒れると戻ってこれなくなる人も多いので、お二人の経験からアドバイスをいただければと思います。
奥山:これまで嫌なことはたくさんありましたし、音楽を辞めようと思ったこともありますけど、僕は深く考えない性格なんです。立ち直れなくなっても、再び起き上がるしかないから。そのままへこたれていたら時間の無駄だし、人生が終わってしまう。悩むことで立ち直れないなら、何も考えないほうがいいと思っています。
何かに悩んで人に相談するときって、結局は自分の中に答えがありますよね。答えを求めているだけではなくて、単に共感してほしいだけのことも多い。だから、結局答えを見つけるのは自分でしかないと僕は思います。
あと、僕は好きなことをやっていると自然と立ち直っていることが多いですね。例えば、僕はディズニーが大好きなのですが、ディズニーランドに行くとすごくリフレッシュして、「また頑張ろう」って思えます。すみません。あまり答えになっていないかもしれませんね(笑)。
土屋:いま奥山さんがおっしゃったのはストレスコーピングというストレスを感じた際にそのストレスと上手に向き合う技術や能力のうちの1つです。自分の好きなことに没頭してストレスからのダメージを外部に逃がすという。それを知らず知らずのうちに身につけてきたんですね。
「なぜいまの仕事をしているのか?」自分のモチベーションの源泉を探る
土屋:続いてワーク・エンゲージメントについてお伺いしたいと思います。聞きなれない言葉だと思うのですが、仕事に対して「活力」「熱意」「没頭」を持ってできる状態を、ワーク・エンゲージメントが高いと言います。まさにアーティストはワーク・エンゲージメントが高くないとできない仕事だと思うんです。これはビジネスパーソンにとっても重要なことなので、お二人にとって何が熱意や活力の源になっているか教えていただけますか。
北清水:シンプルに「自分のやっていることが好き」ということがモチベーションにつながっています。みなさんいろんな価値観で働いているので、お金が一番の人もいれば、プライベートの時間が一番の人も当然いると思います。好きじゃないことを続けるのって、苦行だと思うんです。「人に言われたからやる」もそうですよね。自分が好きだから、気づいたら勝手にやっている。僕の場合は、そんなモチベーションです。
土屋:逆に音楽を嫌いになってしまった瞬間はありましたか?
奥山:僕はもともと歌うことや人前にでることが好きだったので、心底音楽が嫌いになったことはないですね。音楽活動を休止したとしてもギターを弾いて歌うでしょうし、カラオケにも行くと思います。歌うということは僕にとって生活の一部なので。
土屋:職業として歌うことが嫌になったことはないですか?
北清水:ないですね。喜びしかないです。そもそも趣味で食べていくことってすごく贅沢なことだと思います。たしかにお金は大事ですが、お金が一番ではない。「好きなことしてお金までもらえるんだ」という気持ちはずっと感じていました。音楽が仕事になることでネガティブな気持ちになることは全くないです。
土屋:僕らビジネスパーソンは「こんなに働いているのに」「こんなに残業しているのに」と考えてしまいがちで、「これだけ面白いことをやらせてもらえている」と言う気持ちを感じられていない人も多いかもしれません。
北清水:それはもったいないですね。もし自分の仕事に苦行の要素しかないのだとしたら、「なぜその仕事をしているのですか」と問いたい。その仕事を続けているということは、お金や、楽しさや、やりがいなど、何らかの仕事をする理由があるはず。その「何か」を得ていながら愚痴をこぼす人は、甘えているだけです。それならその仕事は情熱のある人に任せてしまったほうがいい。
僕も会社員を経験したことがないので甘っちょろいのですが、人生で傷を負ったり、悔しさを感じたり、踏みつけられたり、影があったほうが光が眩しく感じられると思います。だからどんどん苦しくて、悔しい経験をしたほうがいい。
例えば、新卒社員から見た部長さんは「部長って裁量もあって、楽しそうでうらやましい」というイメージかもしれません。でも、その部長さんだって、部長になるまでにいろんな苦労や悔しさを乗り越えてきているわけですよね。
土屋:いまある環境の中で、恵まれているものを探したり、何ができるかを考えたり、自分の立ち位置を理解するというのはどの仕事でも共通して大切なことですよね。「もったいない」というのはとても素敵な考え方ですね。
「いますぐ何者かにならなきゃ」なんて思う必要はない
土屋:最後にお二人の経験から、若手ビジネスパーソンにアドバイスがあれば聞かせてください。
奥山:初心を忘れないということです。最初は「俺たち絶対デビューする」という気持ちで自信や希望に満ち溢れていたんですけど、だんだん現実が甘くないことに気づいていきました。だから、デビューしてからも「謙虚さ」は忘れないようにしています。初心を忘れてしまうと、それが周りにも伝わってしまうので。
北清水:僕からは「焦らないで」と伝えたいです。僕らが20歳の頃は、失うものがありませんでした。学歴があったわけでもないし、いい給料をもらっていたわけでもない。でもそれって恵まれていると思います。臆せずチャレンジできるので。ただ、「いますぐ何者かにならないといけない」と焦りはありました。いま考えると、その焦りはいらなかったと思います。
20歳が大人の0歳だとしたら、まだハイハイを覚えたところ。そこから10年後、少しでも自分がやりたいことができていれば十分だと思います。時に視野を広げて肩の荷を降ろすことで、余裕が生まれてチャレンジできるようになるので。
土屋:私たちは毎年3000人くらいの新入社員を受け入れてビジネスマナーなどの研修を行っていて、そこでアンケートを毎回とっています。そこで多くの新入社員が「成長したい」と回答するのですが、「成長って何をさしていますか?」と聞くと、多くの人が「わからない」と言うのです。漠然と成長したいけど、なぜ成長したいのか、どう成長したいのかわからない人がほとんどです。いまお二人がおっしゃった「焦らない」というアドバイスは若手ビジネスパーソンが成長するためのヒントになりそうです。
北清水さん、奥山さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。
-Profile-
サスケ
北清水雄太(Vo&G)、奥山裕次(Vo&G)によるフォークデュオ。2000年結成。地元・大宮を中心に活動を開始。2004年4月、シングル「青いベンチ」でインディーズデビューし、話題となった。2009年にワンマンライブをもって解散。2014年に再結成。
オフィシャルサイト:http://sa-su-ke.com
公式Twitter:
北清水雄太:https://twitter.com/you_uta19780323?s=06
奥山裕次:https://twitter.com/78pasca124
サスケ:https://twitter.com/sasuke_yujiyuta
土屋裕介(つちや ゆうすけ)
株式会社マイナビ教育研修事業部開発部部長。HR Trend Lab所長。一般社団法人 日本エンゲージメント協会 副代表理事。国内大手コンサルタント会社にて、人材開発・組織開発の企画営業として、大手企業を中心に研修やアセスメントセンターなどを多数導入。2013年に株式会社マイナビ入社。研修商材の開発や、毎年5000名以上が参加するマイナビ公開研修シリーズの運営責任者、各地での講演などを実施。2014年にムビケーションシリーズ第一弾「新入社員研修ムビケーション」の開発、リリースをしたのち、商品開発の責任者として、「研修教材の開発」「各種アセスメントの開発」「ビジネスゲームの開発」などに従事。2018年より日本人材マネジメント協会・執行役員に就任。