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「青いベンチ」発売から15年。サスケが音楽を辞めなかった理由 | サスケ×土屋裕介

2019年10月02日更新

サスケ Vo&G北清水雄太氏(中)、Vo&G奥山裕次氏(左)
株式会社マイナビ 教育研修事業部 開発部部長/HR Trend Lab 所長 土屋 裕介(右)

2004年に発売された「青いベンチ」で一躍有名になったサスケ。15年経った今も「青いベンチ-10th Anniversary-バージョン」がSpotifyで85万回以上再生されています。そんな彼らが現在に到るまでの道のりは平坦ではありません。デビューから5年後の2009年にワンマンライブをもって突然の解散。2014年に再結成するも、「青いベンチの10周年記念版」が200枚しか売れなかった過去があります。そんな逆境をバネにしてきた彼らはどのような想いで音楽活動を続けてきたのでしょうか。

今回はマイナビ土屋が、「顧客志向」「キャリア」「信念」「レジリエンス」「ワーク・エンゲージメント」という5つのキーワードにまつわるエピソードをサスケに伺い、ビジネスパーソンが成長するためのヒントを探りたいと思っています。

どうすればより多くの人に歌が届くか

まず、はじめに「顧客志向」に関する質問です。お二人は結成当時から「ヒットにつながる曲を作ろう」という意識で楽曲を作成してきたのでしょうか?

奥山:僕らの原点はストリートライブ。毎日路上で10時間くらい歌い続けることをひたすら繰り返していました。最初は誰かに聞かせたいというよりは、単純に「自分たちが歌いたい」という想いだけで活動していたと思います。

北清水:僕も最初は単純に歌が好きでヒットのことは意識しないで活動していたのですが、だんだん音楽を続けたいという想いが強くなっていきました。そのためには結果が求められるので、「どうしたらデビューできるか」「どうしたら多くの人に聞いてもらえるか」ということを考えるようになって。どんな曲調が好まれるのか意識するようになりました。

ストリートライブでも「どうすれば街行く人が足を止めてくれるか」と考えるようになって。歌い続けても人が集まらないならトークを頑張ってみたり、チラシを配ってみたり、色々なことをお客様のことを想像しながら試しました。ただ、街行く人の反応は実際に曲を披露したり、トークを聞いてもらったり、チラシを配ってみないとわからない。1つ1つのアイデアやイメージを実際に試して、失敗して、学んでいくことでしかお客様の気持ちはわからないと思います。

土屋:最初は音楽が好き・歌いたいという想いから始まった活動に、どうしたらデビューできるか・多くの人に聞いてもらえるかといった目的意識が生まれ、何度も試して失敗しながらPDCAを回していったのですね。

これは、新しく仕事を始めたばかりのビジネスパーソンにも同様のことが言えるかもしれませんね。興味がある・目の前のものをただこなしていくといったことから始まった仕事も、懸命に取り組んでいく中で、どうしたら顧客にもっといいものを提供できるか・どうしたら周囲に自身の価値をより高く提供できるかといった目的意識が生まれます。トライアンドエラーを繰り返しPDCAを回していくことで目的意識のある仕事を達成でき、自身の成長につながっていくのではないでしょうか。

「25歳までに売れなかったら解散しよう」と決めて全力で取り組んだ

土屋:これまで路上ライブをしているときにくじけそうになったこともあると思うのですが、それでも「絶対にプロになる」と思ったきっかけがあれば教えてください。

北清水:僕らの世界はギャンブルだと思うんです。「プロになるなんて無理」という人もいましたし、そういう人たちに対して「何クソ」という気持ちもあるんですけど、無理という人たちの気持ちもわかります。プロになれるかどうかは紙一重の世界なので。僕らはたまたま失うものがなくて、好きなものを見つけることができた。だから、臆することなく音楽の道を突き進めたと思います。

一方で、「30歳になったから」「家庭を持ったから」という理由でプロの道を諦める人も当たり前のようにいます。僕らだっていつ音楽を辞めてもおかしくない。ここまで続けてこられたのは幸運としか言いようがありません。

もちろん、自分なりに頑張ってきたことはあります。比喩でもなんでもなく雨の日も雪の日も路上で歌ってきましたし、チラシもたくさん捨てられてきました。でも、自分たちが好きなことをやっているだけなので、苦労とは感じませんでした。好きなことであれば、人は頑張れると思います。

土屋:「絶対プロになる」という気持ちがあった一方で、「どっちに転ぶかわからない」という気持ちもあったのですね。

奥山:結成当初から現実的なことも考えていました。「25歳までに売れなかったら解散しよう」と話していたので。逆に目標を立てたことで、25歳になるまでに何をして、どうあるべきか自然と考えられるようになったのかもしれません。

北清水:幸いにも僕らが25歳のタイミングでちょうどデビューでお世話になる事務所さんに出会っていた。そういった意味ではギリギリ延長戦で音楽を続けることができました。

土屋:25歳まで、という期限を切ることで目標に向けて計画的に活動されていたのですね。仮に25歳の時に上手くいっていなかったら、アーティスト以外の道に進んでいた可能性もありますか?

北清水:当時の僕は居酒屋でバイトをしながら音楽活動をしていたので、もしかしたら料理の世界に進んでいたかもしれません。

奥山:僕は音楽活動を始める前に一回就職をしていて、沖縄のホテルで2年間働いていました。その後、音楽活動を始めてからはずっとコンビニやお弁当屋さんでバイトをしていました。

当時働いていたコンビニの店長はすぐパチンコに行ってしまうような人だったので、ほぼ僕が店長のような仕事をしていました。なので、もしかしたらそのままそのコンビニで店長になっていたかもしれません。

土屋:2009年に解散を発表されたと思うのですが、解散の背景を教えてください。

北清水:当時ちょうど30歳で、デビューから5年の節目だったのですが、なかなか思うような活動ができなくてCDも出せませんでした。事務所の契約更新のタイミングもあったので、一旦解散することにしました。奥山と仲が悪かったわけではないですし、本当にいろんなことが重なっただけ。ビジネス上の話で、ドラマチックな解散理由は特にありません。

奥山:解散後、僕は裏方の仕事がしたいと思って芸能事務所でマネージャーの仕事をしていたのですが、その時の経験がいますごく役立っています。マネージャーをつけずに自分たちで調整業務などを行っているので。なので、仮に本当にやりたくない仕事をしていたとしても、いつかはその時の経験が自分のやりたいことに活かされるということを実感しました。

土屋:解散後の経験も、いまにつながっているというわけですね。一度解散してから2014年に再結成されたと思うのですが、そこにはどのような背景があったのでしょうか?

奥山:2013年の末に2人で会う機会があって、「来年そういえばデビュー10周年だね。記念にライブでもやろうか」と言う話にたまたまなって。話しているうちにだんだん熱くなってきて。「それならもう1回やろうか?」ということになって、再結成することになりました。

土屋:アイデアは思いついてもなかなか行動に移せないビジネスパーソンも多いと思うのですが、お二人の行動力の源について教えてください。

北清水:再結成前から、僕らたまに文化祭や卒業式に呼んでいただくことがあるのですが、「青いベンチ」のハーモニカを吹き始めたときの観客のボルテージがデビュー当時とほぼ同じ熱量だったんです。解散しているときもデビューしてから10年近く経ってもあるサイトで「青いベンチ」が上位にランクインしていたこともあって。未だにファンの方が「青いベンチ」を聴いてくれていることがわかったんです。そういった背景も再結成を後押ししてくれました。

土屋:自分たちが築き上げてきた成果が、自分たちの背中を押すということですよね。おそらくビジネスパーソンも同じで、何か成果を残しているとそれが自信にもつながりますし、自信がないと次の行動にもつながらないということは多々あります。

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